日本人のソウルフードと言っても過言ではない納豆。好きな人はとことん好きな食品でもあるが、いくら好きだからといっても「納豆のこと、どこまで知ってる?」と問われれば、「ねばねばしてて、栄養があって...」と口をゴニョゴニョしてしまう人も多いのではないだろうか。納豆の"マメ"知識について、納豆好きによる私設サイト「納豆学会」を運営する三井田孝欧さんに話を聞いた。

      將『納豆』稱為日本人的靈魂食物一點都不為過。雖然喜歡納豆的人喜歡得徹頭徹尾,但是不管怎麼喜歡納豆,當問到“關於納豆,到底瞭解哪些知識?”時,大多數人都含含糊糊地說:“粘糊糊的,很有營養···”關於納豆的小知識,我們向因為喜歡納豆而建立起個人網站“納豆學會”的三井田孝歐先生進行了詢問。

  

関西人の納豆嫌いはウソ?
■關西人不喜歡納豆是假的?

      「関西の方は一般的に納豆嫌いが多いとされていますが、そんなことはありません。納豆売りは京都が発祥であり、また納豆自体も京北地方でよくつくられていたという言い伝えがあります」(三井田さん、以下同)

      “人們都覺得關西人一般比較討厭納豆,其實沒有那回事。銷售納豆的發祥地在京都,而且有種說法是納豆通常是在京北製成的。”(三井田先生,下同)

 

      確かに、関西人は納豆嫌いな人が多いものだと思っていた。そういえば平城京遷都は710年で、ナットウの年だったし...

      確實,很多關西人都討厭納豆。这么说来,平成京迁都的710年,也是ナットウ年···

 

聖徳太子が造った納豆は塩辛納豆?
■聖德太子製作的納豆是豆豉納豆?

      「聖徳太子が納豆を造ったという伝説が滋賀県湖東町横溝にありますが、塩辛納豆であったという説が有力です。南北朝時代の光厳法皇が丹波山国の常照皇寺に滞在中に納豆を造ったという伝説があります。『法皇様の納豆』、『鳳栖(ほうせい)納豆』と呼ばれたそうです」

      在滋賀縣湖東市橫溝有聖德太子製作納豆的傳說。其中最有說服力的要數製作豆豉納豆(塩辛納豆相當於中國的豆豉)的傳說了。還有一個傳說是南北朝時代的光嚴法皇停留在丹波山國的常照皇寺時製作了納豆。被稱為‘法皇大人的納豆’、‘鳳棲納豆’”。

 

      聖徳太子は「何人もの話を一度に聞き分けて各にアドバイスをした」と聞くがこれは初耳。日本人なら、これは知らネバならない?

      “當問到“聖德太子是否可以同時聽幾個人說話,然後分別給與意見”時,三井田先生卻說是第一次聽到這個。如果是日本人的話,這個故事不是必須知道的嗎?

 

納豆と豆腐は名前が逆?
■納豆和豆腐的名字反了?

      「これは納豆学会のサイト内にもありますが、たまに寄せられる質問のなかで『豆腐と納豆は名前が逆なのでは?』というものがあります。でも、それは違います。豆腐の発祥である中国でも同じ漢字をあてます。『腐』という字には腐るという意味はなく、ブヨブヨしたものという意味があるのです。一方、納豆はお寺の台所、つまり納所でつくられた豆だから納豆なのです」

      “‘豆腐和納豆的名字反了嗎?’,這個問題是在納豆學會的網站上找到的,偶爾也會出現在諮詢中。但是,這個說法是錯的。在豆腐的發祥地中國也寫成相同的漢字,但是‘腐’字沒有腐爛的意思,而是柔軟的意思。另一方面,納豆是在寺院的廚房,也就是米谷金錢出納處製作出來的豆子,所以叫做納豆。”

 

      これには目からウロコ!これは個人的な話だが、筆者は以前、ドヤ顔しながら友人に「納豆と豆腐は実は名前が逆なんだよ~」と語られたことがある。今はその友人を張り倒したい気分だ。

      這個是否讓你很吃驚呢!這個雖然是個人的經歷,以前有位朋友曾經得意洋洋地向筆者說:“納豆和豆腐其實名字反了~”。現在有種想將這個朋友打到的衝動。 

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